SIXTH SENSE
〜2006年世界選手権パイロットレポート
2006年世界選手権は6/2−18、スウェーデンで、スタンダード、15m、18m、オープンの4クラスに26カ国、116機のグライダーが出場して開催された。私は2年前から転向した18mクラスに参戦した。Swedenは、私の初めての世界選手権(1993年、Borlange)の国で懐かしい一方、降りるところが無いエリアが結構あるので、厄介な国である。勝負をかけるとなると、湖に降りるしかない状況までリスクを背負う必要が発生しうるのは明白で、監督のKIKIは年始からこの点を一番気にしていた。
この2年間は、仕事の合間を縫っての競技生活を余儀なくされてきた。何とか、プレワールドとヨーロッパ選手権の出場のためのぎりぎりの時間は確保してきたが、競技に専念できる環境ではなく、クラス転向、機種変更に伴う諸問題を差し引いても、不満足な成績のこともままあった。明らかに練習不足と思えたので、今年は、練習量を増やすべく、トレーニング・プログラムを組んだ。
準備編
まず4月にドイツ・ナショナルチームのトレーニング・キャンプに1週間合流させてもらった。これは2008年の世界選手権の開催地、ドイツのベルリンの側のLusseという場所で行われたのだが、この3年、18Mクラスで連覇を続けているWolfgangや、LS10のHolger Bachらも集まり、ちょっとしたWarm Up Runという感じであった。天候もころころ変わる北欧的な天気が続き、非常によい練習となった。
このあと、一旦帰国し、最後の仕事を片付けて、いよいよGWからヨーロッパに行きっぱなしとすることができた。GWはこれまたドイツ北東部のKlixで大会に参加し、さらに競技で飛び込んだ。最後の仕上げとしては、LesznoでのPoland選手権を計画していたため、Klixは最大4−5日しか飛ばないようにとKIKIから厳しく言われており、最後の数日は、飛ばないで機体や計器の仕上げを行った。
そしてPolandへ移動。Lesznoは前回の世界戦以来3年ぶり。初めて世界選手権に出た1993年のときもNationalsに出てからSwedenに直行した。Swedenに気候が似ていて、この時期にハイレベルな競技会は稀有なので、迷わず選択した。Polandチームの連中も全員参加しており、最後の仕上げとしても申し分ない。ウエザーも試合が始まるとシャワーやオーバーデベロップ気味なトリッキーなウエザーになり、そういう意味でも申し分なかった。唯一の問題は自分であった(笑)。CentkaのSZD56-2 Diana2はものすごい高性能だった。速度を落とすと18M だけあってこちらのVentus 2Cxのほうが足はあるが、高速ではむしろ向こうのほうが性能は目に見えて良い。こちらがまだ離陸重量が565kgで、翼面荷重が低いせいもあるのだろうが驚きである。パイロットが良いのはもちろん分かってはいるが、こちらも世界を狙う立場なので、そう違うわけではない。さらにハンディキャップ制なので、スパンが長いほうが不利である(ASW22に乗るTomas Rubajなどはまったく可哀想である)。まあ、この試合の目的は自分の仕上げなので、たんたんとより良い飛びを目指して実戦演習あるのみ。だんだん勘が戻ってきた。ミスが減ってきたし、競り合っていても冷静になってきた。そして、夜はプールに通い、万が一の着水に備えて泳ぎの練習を続ける。なかなか見つからなかったクルーも、LesznoでWorkshopを開いている古くからの友人が、自分のところのスタッフのミレックを連れてってもいいと言ってくれた。これは本当に助かった(ここ3年クルーをやってくれていたマイケルが就職してしまい、今シーズンの最大の問題であった。本当に九回の裏の大逆転という感じである。そしてミレックは機体の整備はプロだけあって慣れていた)。
最終日、朝の時点で順位は5位くらい。プレッシャーもまったく無いどころか、朝の組み立てでOutboardの固定金具を中途半端な位置で折ってしまい、一時は飛べなくなるかと思ったが、ミレックの上司が気が利いていて、とっさの機転で直してくれた。明日の陸送の準備を指示して、グリッドの最後から離陸する。この日は前線が来ており、タスクはAAT。高度をとり、早めのスタートを切る。前のガグルにすぐ追いつき、追い越すと先頭にいつものBB(Centka)がいた。抜きつ抜かれつで、第1エリアをターンし、東に向かう。
途中条件がさほど良くないエリアがあり、そこで、少し軽めな私がバブルを1周早く掴めて、上がりでぶち抜き、(さすが18M )出来かけのクラウドストリートの波にうまく乗れて、かなりの距離差(=速度差)をつけ、ゴールすることができた。 そして、長い採点待ちがあったが、Poland選手権で初めて優勝することができた。テニスで言えば4大トーナメントのひとつに勝つようなものであろうか。とても嬉しいというのと、これで次の本番で勝つのは難しくなったかも、というジンクスのような複雑な気持ちにちょっと襲われてしまった。
いずれにせよ、翌朝は早くからSwedenに向けて陸送開始。めざすはEskilstunaである
事前準備
Swedenの天気は、とにかく悪かった。アメリカチームの何人かは私より数日前に現地入りしていたが、私の到着後も、XCは全く飛べないような天気が続いていた。飛べてもローカルで2時間程度。1993年もそうだったので想定範囲内ではあるが、春から淡々と準備してきておいて良かった、の一言。最後の休息をとりつつ、細かな準備を仕上げる。冬の間、何もFLARM、IPAQなどの計器などの準備出来なかった私は、この間に最新技術にずいぶん追いつくことができた(その結論としてFLARMには飛行中に機数の多いガグルでは切れるようにスイッチをつけることになったのだが・・・)。
加え、曇りの1日に、北西の巨大な森が続き、アンランダブルなエリアをセスナで下見し、昨年の記憶を改め、最新の状況をチェックした。これは、精神的には良い仕上げであった。
Ventus 2Cxの最大離陸重量の件も、飛べないだけにストーブリーグは燃え上がり、あまりわけのわからない状況に突入しかけたが、結局公式練習の終わりにぎりぎりで書類が間に合い、すべてのVentus 2Cxは600kgで飛べることになった。ある意味、気流を感じにくいと思っていた機体がさらに気流を感じにくくなるわけで、正直ちょっと複雑な気持ちであった。まあ、600kgに固執しすぎないのが重要であろう。
とにかく、Swedenではフライト3日しただけで、本番に突入することになった。まあ、プレも来ているので、自分に不利なことは無いと考えることにする。
本番
試合が始まると、天気は少しましになる。飛びやすいという天気はあまり記憶に無く、どちらかというとトリッキーなウエザーかタスクが記憶に残っている。
なかでもDAY2は強烈な記憶に残っている。OD、Spreadout、Showerの多い、北欧典型のウエザーであったが、18MはBorlangeの遥か北を飛ぶコース。On TRACKでも降りるところは少ないが、ウエザーの良い北側のエリアは、まったく降りるところも無いエリアが多いDANGERエリア。しかし勝負をかけるには、これしかないという感じで、イギリスの兄弟ペアーと3機で、サーマルの綱渡りで必死に飛ぶ。2人はエンジンがあるからまだいいだろうが、こっちはピュアなので、人生3本の指に入るハイリスクなフライトであった。そのおかげで、ガグルをかなり先行したはすであったが、ラストクライムに恵まれず、最後に追いつかれる。ちょっとがっかりであった。前半戦、こういう、あと1個恵まれれば、という日がいくつか続き、総合で4位につけていたが、なんとなく本調子と言えないような気持ちがしていた。そして、なんとなく、2位は狙えても、1位は厳しそうだという感じがひしひししてきていた。6月10日、DAY5は結構遅れを取ってしまい、リズムに乗れなく失点してしまったし、DAY7まででデイリー2位、3位を1回ずつとってもその気持ちは変わらなかった。KIKIも、上の連中もミスはするから、諦めてはいけないと励ましてくれる。
だが、Rest DayをはさんでのDAY8。この日が痛恨の1日になってしまった。 この日はBlueで、AAT。18Mのガグルとはあまり出会うことが無く、どちらかといえば、前半組だったのだと思っていた。後から見ると、どうやら前に出たグループと後に出たグループの狭間だったようだが、まあ他のクラスも似たようなエリアを飛行しており、Openや15Mと一緒になったりしながら、まずまずのペースで飛んでいた。途中低くなったのを除けば、むしろここに来て、好調だともいえなくはなかった。しかし、ラストサーマルであそこまで苦労する羽目になろうとは・・・。 下に18Mのガグルが入ってきて、少し焦ったのもあったかもしれないが、上昇率が弱くなって、あまりSTAYする必然性に納得できなかったのが本音である。
Eskilstunaは2つの大きな湖の間にあり、Lake Breezeはいつも問題で、Final Glideが重要な鍵になっていた。この日も、あまり良い予感はしていなかったが、そこまでが順調だったあまり、減速が一歩遅れたとも言える。とにかく、あと100mに泣くはめになってしまった。最後の最後は、サーマルが出来始めるのを感じることが出来、あとから上に来た機体は上がって帰れたのだが、こちらは低すぎた。小さな丘の上だったが、丘の中腹のパドックにはパターンを描いて降りられないくらい対地高度は100mもないくらいであった(丘を下って、安全に降りる高度は充分あったが)。
結局、手前10kmにOLしてしまった。基本的にもう終わりである。
同じ畑に、前回LesznoでSTDで優勝したAndy Davisも降りていた。彼も今回はウエザーが性にあわないと、(93年のBorlangeは優勝したのに)ぼやいていた。イギリスのTeam Mateの若者たちは、優勝する勢いであったが。
残る2日。ベストは尽くすつもりで飛び、DAY9は再びデイリー3位に入れた。最終日はガグルに結局飲み込まれ、普通の結果に終わってしまったが、途中先行してPUSHしようと頑張った。北のエリアでは空の色がすごく綺麗で、もう今年のシーズンが終わってしまうと思うと残念な気分に襲われたが、最後を飾るには気持ちいい一日であった。
まあ結局、DAY8をそこそここなしても、1位にはなれなかっただろうが、表彰台は確実に上れたであろうことを考えるともったいなかったという意見を多く頂いた。KIKIにもそう言われた。一番悔しかったのは本人で、その通りではあるが、まあ、その前の2年間の苦労を考えると、よくここまでレベルを回復したという部分もあるし、今回の反省を活かしつつ、次のチャンスを狙うことにしよう。
それよりも最近、気になっているのは、飛行量不足による空や気配を読むSIXTH SENSEの低下だろうか。これは大会前に1−2ヶ月乗り込んでも、完全に取り戻せるものでも無いようである。まあ贅沢な悩みではあるが、世界一とはなかなか遠いものである。
Poland選手権で2位だったCentkaは、最終日の朝、ブリーフィング後に“今日はアタックして逆転するから”とわざわざ私に会いに来て予言して、水バラ満タンのDiana2をかっとばして逆転優勝を決めた。彼ももう50過ぎだが、根っからのファイターと言えよう。グライダーは息が長いスポーツのようなので、私もじっくりチャンスを伺うしかあるまい。

